マダガスカルレポート『マダガスカルの暮らし編』

Kurumiru/ 12月 28, 2022/ つぶやき/ 0 comments

マダガスカルの朝は早い。
ニワトリの鳴き声で始まります。
朝方5時30分、あたりが明るくなり始めると「コケコッコーッ!!」と甲高い声が街中に響き渡ります。

マダガスカルの人は優しくて、とてもフレンドリー。アジア人は珍しく、道を歩くと大人も子供も「ニーハオ!」と声をかけてくれます。

 

街を散策。えびのかき揚げのようなものをいただきます。

えび好きの私にはたまらない一品。

一個だいたい15円。
物価は安いです。
ご飯も一食200円くらいで食べることができます。

そしてマダガスカルは仕事がハード。夜中の3時から夜の17時まで働いているバス乗り場のおじちゃんがいたり、子供から老人まで家族で石を割る作業をしている村があったり、人々は生きるために働きます。

生き物や自然が好きな私は、野生動物保護区で働くレンジャーの方に、なぜこの仕事をしているの?という質問を投げかけてみました。

 

すると返答は「お金のためだよ。」
というものでした。

動物が好きだから、自然を守りたいからという答えを少し期待してしまっていた私にとってそれは、少し寂しくもありながら、はっとさせられる瞬間でした。

 

マダガスカルでは人々が働く理由がはっきりしています。
それは生きるため。

しかし、働く理由がはっきりしているからこそ、私にはそれが生き生きと生きているようにも感じました。

 

毎日を生きている実感がマダガスカルにいると感じられるのです。

歌ったり、踊ったり、家族との時間を大切にして、生き生きと生きる様子に、本当の豊かさとはお金ではないと考えさせられるのでした。

また、現地に行って感じたのはマダガスカルの人々は助け合いの心が素敵だということ。

マダガスカルには驚くことに、信号がありません。
車社会のマダガスカルがそれでもやっていけているのは、人々にゆずりあい、助け合いの精神がベースにあるからなのではないかなと私は思いました。

何か困ったことがあると、みんなで寄ってたかって助けようとします。

ある村で、おばあちゃんがバスから降りてきました。バスの荷台から2人がかりで降ろされる大きなステレオスピーカー。
おばあちゃんが運ぶことが出来なくて困っていると、その場に居合わせていた人たちが、即席でその辺の木と紐でなにやら作り出しました。
スピーカーを背負えるように、江戸時代の籠のような物を作り出し、運んでいったのです。

村を歩くとみんな当たり前のように挨拶をします。ちょっとどこかに行きたい時は知り合いがバイクに乗せてってくれる、バイクが壊れたら、バイクに詳しい知り合いが直してくれる、そうやって村の中で助け合うのです。

また、よく見かける光景として、バスで移動していると道路沿いに物乞いしている子供や老人がいることがあります。マダガスカルは道の状態が極端に悪いです。道路は穴だらけ。凸凹路を車でジャンプしながら進んでいきます。そんな道路の穴を明らかに埋めた”ふり”をして、お金をもらおうとする人々。すると運転手が窓からお金を投げたりするのです。

貧しい中でもお金を分け与え、みんなで助け合い生きていく。そんな生き方を間近で見て、自分が少し恥ずかしくなりながらも、滞在中たくさん助けてもらった分、私も恩返しできるような存在となりたいと思いました。

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