Kurumiru/ 10月 30, 2024/ アグロフォレストリー通信/ 0 comments
前回のアグロフォレストリー通信は日本古来より人と森の関係を繋いできた人、マタギと山に対する信仰についてでした。今回はマタギに限らず、日本人の自然に対する感覚や関わり方はどのようなものなのかを考えていきたいと思います。
日本人の自然に対する感覚を考える上で、大きく関わってくるのが思考の根幹となる宗教観ではないかと思います。日本人はほとんどが仏教徒でありながら、クリスマスを祝うし、ハロウィンもします。特定の神様に対する信仰心は薄いように思います。しかし困った時、何か叶えてほしい事がある時には神頼みという言葉があるように神社に参拝し神様に祈ります。姿かたちはわからないけれど神様というものは存在してそれに祈るということは昔から変わらないように思います。
最近観光客が鳥居で懸垂をしている動画が話題になりました。鳥居は物質的にはただの木です。文化を知らない方から見ればただのモニュメントなのかもしれません。しかし日本人は鳥居にはそのようなことはしません。鳥居にはそのような事をしてはいけない、バチが当たるという意識が無意識のうちに日本人の中に根付いているからです。
また日本には八百万の神という思想があります。太陽や月、木々や石、万物に神が宿るという意味です。友人は子供の頃お茶碗に米粒を残したとき、お米一粒には7人の神様がいるからお米一粒でも粗末にしてはいけないよと教えられたと言っていました。この7人は七福神だという説や水、土、風、虫、太陽、雲、作り手の7つであるなど諸説ありますが、このように自然の恩恵や万物に日々感謝し粗末にしてはいけないという教訓と思想が日本人には昔から根付いているように思います。
なぜこのような思想が根付いたのか気になったので調べてみました。寺田寅彦の「日本人の自然観」によるとその大きな要因は日本の自然環境にあるといいます。1日のうちに雨が降ったり止んだり天気が多様で変化が頻繁、さらには地形も複雑で多様な要素がさまざまに組み合わさって、日本の気候を形成しています。さらには台風、火山、地震、津波などもおこり日本の自然は絶え間なく変化し続けています。
これによりたくさんの恩恵を受けてきた一方で、厳しさも受けてきました。自然の厳しさに適応しようとすることは環境をよく観察する力を高め、自然の不思議さや神秘さを感じることにつながります。自然の威力や神秘さを知れば知るほど自然に逆らうのではなく自然を師として尊び、自然の環境に適応するように努力します。そのことが自然をコントロールするのではなく、万物を敬い、尊敬し、人間もその自然の中に内包され生きるという思考を発達させていったのではないかということです。
自然をコントロールしようとした結果、西洋は急速に科学の発展を遂げました。時代は便利になり、人間が生きやすい世の中になりました。一方で多くの弊害も生んできました。空気、河川の汚染や殺虫剤が生き物全体そして人間にまで影響を及ぼしてしまったように、自然はコントロールできるものではありません。むしろコントロールしようとした結果、破壊を招き人間にとっても生きづらい環境になってしまっている側面があります。一方で自然には回復能力があります。人間は失ったものをどれだけ回復させることができるのでしょうか?今は昔と比べると自然との関係への感覚や有り難みが薄れ、人間の便利さだけをみても生きていける時代です。でもそのままではいつか人も生きられなくなってしまう未来がくるのかもしれません。万物に感謝し自然を敬い、自然の中に内包され生きているという日本古来からの思想や価値観は、これからの未来を生きていくのに重要な役割を持つのではないだろうかということを考えました。
2024年10月25日武田瑞季
前回のアグロフォレストリー通信#19 人と森を繋ぐ人はこちらからご覧いただけます。
アグロフォレストリー通信バックナンバーはこちらから。
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