Coen.mg/ 11月 20, 2024/ Newsletter/ 0 comments
Connect & Enjoy #037
「いただきます」食事のときに手を合わせてつぶやきますよね。手を合わせたり口に出すことはなくとも、きっと心の中でつぶやいているはずです。そのとき、何を思っていますか? 「美味しそう!」「おなかすいたなー」「何から食べようかな?」「今日も作ってくれてありがとう!」などでしょうか。先日、「100年後の食 ー食と農の未来を考えるー」というイベントで、永平寺の方の話を拝聴する機会がありました。そこで「五観の偈」という言葉を教えていただきました。ご存知でしょうか? その話に痛く感動したものですから、今回はこの言葉を紹介したいと思います。
永平寺は福井県にある日本曹洞宗の大本山で、今でも厳しい修行で知られるお寺です。「五観の偈(ごかんのげ)」は修行僧が食事をする際の心構えを説いたもので次の5箇条からなります。一つには功の多少を計り彼の来処を量る二つには己が徳行の全欠を忖って供に応ず三つには心を防ぎ、過を離るることは貪等を宗とす四つには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんがためなり五つには成道のための故に今この食を受く僕が説明するのはおこがましいのですが、当日うかがった話などから簡潔にいうと次のような意味になります。
「一つには功の多少を計り彼の来処を量る」とは、目の前の食に関わった多くの縁と手間を思い、感謝すること。つまり、食材の命、それを育む自然、育てた人たち、届けてくれた人たち、料理してくれた人たち、、、目の前の料理に関わるすべての人、もの、ことを思い感謝すること。「二つには己が徳行(とくぎょう)の全欠(ぜんけつ)を忖(はか)って供に応ず」とは、人としてなすべきことをやっているのかを省みること。つまり、様々な関わりの中で届けられた目の前の食。自分はそれをいただくに値する生き方をしているかを思うこと。「三つには心を防ぎ、過(とが)を離るることは貪等(どんとう)を宗(しゅう)とす」とは、仏の心を守り貪りをおさめること。つまり、煩悩に流されることなく謙虚な気持ちで目の前の食に向かうこと。「四つには正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんがためなり」とは、健康を保つために、良薬として食事をいただくということ。食は何のためにいただくのか。食事はただ空腹を満たすためにあるのではなく、食によって自らの健やかな体と心が保たれていることを思うこと。「五つには成道(じょうどう)のための故に今この食を受く」とは、仏の道を歩むためにこの食事をいただいているということ。つまり、食事も修行の大切な一環であるということ。
深い。読めば読むほどよく考えられているなと感心します。五観の偈は修行僧のものですが、そうでない自分にもたくさんのことを教えてくれます。僕なんかはおなかがすいているとがつきますし、美味しそうな料理に「わおっ!」とはしゃいで写真を撮ったりしてしまいます。五観の偈にそって、心を落ち着かせ自分を省みながら食事をすることはなかなかできそうにありませんが、1日に3度、おやつも入れるとそれ以上に修行する機会があるわけですから、少しだけでもこの教えを思い出して食事をしたいと思います。今度の「いただきます」がちょっと変わりますように。
ということを書いておきながら、最後に欲をかきたてる素敵なイベントを紹介ます。11月23日、24日に東京大手町で開催されるufu fes。今をときめくパティシエたちのスイーツが並びます。今年のテーマは食材への感謝。トップレベルのパティシエたちがどのような形で「食材への感謝」を表現するのか、とても楽しみです。24日だけですが私たちも出店します。
冒頭の写真:収穫後のバニラ果実を加工する様子。私たちのバニラビーンズもたくさんの人たちの手間に支えられています。
2024年11月20日合同会社Co•En Corporation代表 武末克久
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